批判ばかりしても、それはいつか必ず自分に返ってきます。
私がそうだったから。(アラ探しの果てには何がある?より引用)
個人批判をすれば、それは自分にも跳ね返ってくる。
しかしこのエントリーの元ネタであろうひんべぇとの会話では「管理サイドの批判」であり、個人をバッシングするのとは異なる。企業批判というよりは経営スタンス批判…批判というよりは「こういうところはまずい、改善を求む」という意見であったのではないか。
それらを全て否定し、否定して行った果てには
一体何が残るのだろう、と思ったのです。(過去と今と、その先と。より引用)
双方のエントリーを見ている限り「批判」から「否定」へと言葉がすり返られているようですね:-( こういうのはどうだろう?とユーザ側が首を傾げ批判・改善を求める意見を言う。その先には、管理側がその改善点に気づき棲み易い世界に変わるかもしれない。それが企業が発するサービスであり、サービスをはじめたら苦情等に敏感に反応し対策をすなければいけない責任なのではないでしょうか。
「否定しつづけたら楽しいリヴ界になるのか、私はそうは思わない」というのはso-netにその器がないと批判しているようにも思えます。
批判し、問題点を挙げつつも、良い点を探した方が
まだしも建設的なのではないでしょうか。 (過去と今と、その先と。より引用)
私は建設的ではないと思います。建設的である、というのは「問題点を管理側に伝え、管理側はその問題点を修正する努力をし、改善される」ということではないでしょうか。
前にもそうだったのですが、対象が明確なのであればTBなどして積極的に議論すべきなんじゃないのかな。…(中略)…対象に批判的なスタンスを明示するエントリー、しかし対象を特定せず、揶揄する独立したエントリーとして書くことで、それが相手に知られた場合、余計に相手を怒らせてしまうことはないでしょうか。(イベント批判のスタンス より 引用)
これは私が前のエントリー「ちょっとblogのお話」でも触れています。話題のキッカケである対象が明確であるならばその「キッカケはここよ」という記述をすべきではないのか、と。話題の相手が明確である場合はTBするのもいいと思います。対象をぼやけさせたことにより、相手が不愉快になることも多いのではないでしょうか。現に…私は少々(エントリー内容で批判されているわけではないのですが)不愉快な気持ちになっています。
悪いところばっかり見つけて、注意して、
では、それほど他人に注意できるあなたは、
一体どれほどすばらしい存在なのですか?
もし、そう問われたらどうするのでしょう?(アラ探しの果てには何がある?より引用)
自分の存在が相手よりも上位であるから、優位であるから指摘をする、というわけではなく立場をわきまえた上で「こういう意見をもっている」と伝えるのはいけないことなのでしょうか。注意するにはすばらしい存在ではなければいけないのでしょうか。たった一つ、些細な非がある人には他人の言動を注意することも許されないのでしょうか。…という極論に達してしまいますね^^; こういう皮肉はちょっと受け入れられないです、私には。
私は、いくら批判めいた事を言われていても、Ver2からのユーザーですので、
その批判への同意にも思推にも限りがあります。(過去と今と、その先と。より引用)
その場の会話では同意している風な返事をし、エントリー(アラ探しの果てには何がある?)では批判的立場であったひんべぇを糾弾しているかのように受け取れます。同意にも限りがある、とは言っていても、「アラ探し…」のエントリーでは批判への同意のカケラもなく、批判的立場を批判。
>最近よく思うんだけど、やはりVer.1ユーザと
>Ver.2ユーザの間には考えの距離があるような・・・・・・。 (イベント批判のスタンスより)
そうかもしれませんね。
しかしその距離を作り出しているのはどちらなのでしょう? (過去と今と、その先と。より引用)
私もv1とv2ユーザの壁を感じている。v1時代を知らない人にはこの1年間がリヴの歴史であって、それ以上前はすでに自分が体験できない過去のものとなっている。でも、それが壁の理由ではないのではないか。壁を作ろうと思って壁ができたわけではない。v2ユーザは享楽的なタイプが増えてきているように感じる。以前は新規登録停止期間が長かったから複数飼いも少なく、自分のリヴを大切にしてきたユーザが多かったと思う(例外もあるが)。v2になってから1年間新規登録は継続中。それに伴いサブリヴが多く誕生。サブリヴを使って荒らしをしたり、嫌がらせをしたりする人も増えた。v2になって複数飼いをしたのがすべてv2からのユーザではないにしても、リヴとしてはv2期誕生である。そういった意味でv2ユーザとは壁があるように感じる。
長いエントリーになったけれど。
批判だけをしているわけではない。批判的立場が目立つだけである。周りと同じことをしていればきっと目立たず誰にも気にとめてもらえないのと一緒。みんなと違う立場にたつから目立つだけ。自分と違う意見を言うから目立つだけ。ただそれだけのこと。
≪ 続きを隠す